地図にない村で授かった「クルアン・プー」 ━━ 神を降臨させる秘宝具 ━━
今回は、私 堀大河がタイで出会った神具を紹介する。
時間が許すならば是非読んでみてほしい。
あれは今から5年ほど前になるだろうか。
私はクルアン・プーがあるとされる里を訪ねてタイ北部、山と霧のあいだを縫うように走る未舗装の道を、古いトラックに揺られていた。

乾いた赤土の匂いと、どこからともなく漂う焼畑の煙。
谷間に差し込む午後の光が白く滲み、遠くで犬の声が何度かこだまする。
ナーンからラオス国境までは、幾つもの山岳民族が小さな村を点在させて暮らしている。

そのひとつ、地図にも載らない村で、私は「クルアン・プー」と呼ばれる不思議なお護りに出会った。
それは一見、素朴な紐細工だった。
古びた竹籠の上に並べられたそれを手に取ると、中央の結び目だけが異様に太く、何層にも糸が巻かれている。

代々“モー・ピー(精霊師)”と村長を務めている村の長老、プアカオ氏が言う。
「ここにはアーサナ(聖なる座)がある。偽物には神は宿らない。」
プアカオ氏の話では、神や精霊は形を持たず、常に人とともにいるわけではないという。
人と同じように神々にも事情がある。
いつもいつでも決まった場所にいるわけではない。
なので神を留めておくか、必要な時には神にきてもらう必要がある。
そしてそこには例外なく“座”が要るのだ。
粗末な椅子に腰を掛け、糸を巻く手元だけが淡い光を反射している。
彼は言う。
「この結びを作るとき、一巻き一巻きに私の持ち得る祈りのエネルギーの全てを込めます。
この糸の中には 神々が好むパン・ピー(千年の木)の破片が入っています。はるか昔から存在する神々に出来る限り、人間界で長く存在し、穢れの少ない物を準備するのだ。」と
途方もない作業と儀式で時間の感覚が薄れていく中、糸が重なり、想いが積み重なる。
そうして出来上がる結びの中心には、祖霊や土地の神が一時の居場所を得るという。
驚くべき所は実に様々な神や、精霊が一時的な滞在場としてクルアン・プーにやってくるというわけだ。

例えば財を望むのなら、財の神々なのだが、その中でも豊穣や土地の神など実にさまざまだ。
能力の開花を望むのであれば、それもまた多くの神々の中から一つの神が一時的にクルアン・プーに宿るのだ。
村に災いが続いた時、または人生を変えたい、と決断を前にした者へ、再建を後押しする意味と願いを叶える為に強く願う事を決断をした者に対してのこの護りは授けられるそうだ。
クルアン・プーは持ち主の意志と共鳴し、次のような力をもたらすとされている。
1.「人生の岐路」で決断を後押しする
クルアン・プーが授与されるのは、村に災いが続く時、あるいは持ち主が「人生を変える」と決断した時だと言います。
迷いを断ち、踏み出すべき方向へ背中を押すような作用が、最も根本の効能として語られています。
- 重大な選択を前に心が定まりやすい
- “やるべきこと”と“手放すこと”の線引きが明確になる
- 再建・再出発の局面に流れをもたらす
2.財の流れと「豊穣の縁」を整える
財を望む場合、招かれるのは一言で「財の神」ではなく、豊穣・土地・巡りを司る神々など多層だとされます。
そのため“財の巡りが整うような土台を形作る”、と語られることが多いようです。
- 仕事の機会や紹介、チャンスがつながる
- 富の流れが形成される
- 財をもたらす協力者が集まりやすくなる
3.能力の開眼・感覚の研ぎ澄まし
「能力の開花を望むなら、それに応じた神が宿る」――この考え方がクルアン・プーの特異点です。
持ち主の資質に応じて、必要な精霊が在するとされています。
- 第六感が冴える
- 潜在能力が強化される
- 集中が続き、迷いが減る
4.浄めと鎮め(心身のコンディション)
クルアン・プーを持つ人の中には「温かみ」「頭がスッキリする感覚」「心が落ち着く感覚」と感じる方がいます。
これは神が留まる“座”が整うと、場と心のノイズが減り、穏やかさが戻るとされているためだといいます。
- 不安や焦りが鎮まりやすい
- 頭の整理がつき、思考が澄む

夜、私は宿の裸電球の下で、手に入れたばかりのクルアン・プーを眺めた。
手のひらにのせると内側から力がみなぎるように感じた。
それと同時に、芯にある温かみが伝わり、頭がスッキリする感覚にもなった。 これがクルアン・プー本来の力なのか、モー・ピーの祈りの残響なのか、それとも戻ってくる神の気配なのか、それはわからない。
けれど、説明にあった「浄めと鎮め」とはこのことだろうか。山の静寂の中で、不思議と心が落ち着いていくのだった。
※当時、稀少なクルアン・プーをごく少量だけ無理を言って譲って頂いた。
当然それなりの対価をお支払いさせて頂いているが、高いと感じた事は一度もない。 私の場合、願った以上の結果がしっかりと出ているのを感じているからだ。
余談だが…

村長には意外な一面があった。彼は、競馬が好きだったのだ。
夕方、竹の椅子にどっしり腰を下ろし、焚き火の火を眺めながら、
「日本の競馬は面白いらしいな」
そう言って笑った。
私は、クルアン・プーを手のひらで転がしながら相槌を打っていた。
すると突然、彼は私の目を見て、こう言った。
「お前はまだ、疑っている顔だ」
そして、間髪入れずに続けた。
「今、頭に浮かんだ数字を――三つ言ってみろ」
急にそんなことを言われて、私は笑いそうになった。
だが、ふしぎなことに、胸の奥が一瞬ひやりとする。
その場の空気が“試される側”へ傾いたのがわかった。

目を閉じると、数字がいくつか浮かんだ。
なぜその数字なのか、理由はない。
ただ、浮かんだ。
……いや、三つどころではない。
五つ、浮かんでしまったのだ。
私は少し迷ってから、口にした。
「3、5、6、8、9」
村長は満足そうに頷き、ニヤニヤとしながら言った。
「いい。その数字を組み合わせて、日本へ帰ったら競馬にかけてみろ」
私は内心で思った。
(結局、減るのは俺の金じゃないか)
私はギャンブルが好きなほうではない。
勝っても負けても気持ちが乱れるのが嫌で、普段は手を出さない。
それに、もし負けたら負けたで、ただの笑い話になる。
だが――
この場で「信じてない」と見透かされているのも、正直癪だった。
私は曖昧に頷き、クルアン・プーを鞄へしまった。
日本へ戻った数日後、
私は約束どおり競馬に賭けようとしていた。
まさか自分がこんなことをしているとは思わなかった。
頭に思い浮かんだ数字――
3、5、6、8、9。
その組み合わせで、いくつか買い目を作った。
深く考えないようにして、
“検証のため”という体裁で、ただ金額が少ないと疑っていると思われるのが嫌で、15,000円という大金を投入した。
私はただ「証明できるならしてみろ」と、半ば意地でやっていた。
だが――
結果は、意地の上を行った。
払い戻しの画面に表示された金額を見た瞬間、私は息を止めていた。
237,000円。

指が震えるほどの額ではない。
だが、軽い実験のつもりで出した金が、
現実の数字になって戻ってくるには十分すぎた。
何より怖かったのは、
“当たった”という事実ではなく、
自分の中で、冷静に納得していたことだった。
(……やっぱり、これは偶然だけじゃない)

私は後日、当たったお金で再び村長の元へと飛んだ。
「本当に当たった」と伝えると、彼は笑った。
そして、さらりとこう言った。
「ほらな。お前がその数字を言えたのは、クルアン・プーを持っているからだ」
私は聞き返した。
「どういう意味ですか?」
村長は答えた。
「クルアン・プーには“座”がある。
座があるから、必要なときに“来る”。
そして来たものは、お前にで知らせる。
数字は、一番わかりやすい形だ」
私はそんな話を聞いている時に、クルアン・プーを手のひらに乗せた。
そこには“何か”が留まっていると思うと不思議な感覚になった。
あの日以来、私が学んだこと
いま振り返ると、村長が私に競馬をさせたのは、金を増やすためではない。
“疑い”を、いったん形にして折るためだ。
クルアン・プーの力は、派手に奇跡を起こすというより、
必要なときに、必要な方向へ“軌道”を合わせる――
そんな性質なのかもしれない。
そして、もしそれが本当なら。
あの夜、私の頭に浮かんだ数字は、ただの数字ではなく――
「ここに座がある」
という合図だったのだろう。
そう思えてならない。
2026年01月25日
