護り石は、なぜ世界のどこにでもあるのか── 二十年、私が追い続けてきたもの
堀 大河

私がこの二十余年、世界の果てまで足を運び、最も多く手にしてきたもの。それは、金でも、宝石でもない。人が祈りを込めた、手のひらに載るほどの、小さな「護りのかたち」である。
思えば、奇妙な生き方をしてきた。見知らぬ国の空港に降り立つたび、私の足は真っ先に、その土地でいちばん古い市場か、いちばん奥まった寺へと向かう。観光客が写真を撮る大通りではない。裏路地の、線香と埃と、饐えた油の匂いが混じり合う、その奥。祈りが積もり、黒ずんで艶を帯びた、一角へ。私が探すものは、いつもそういう場所に、息をひそめている。

たとえば、タイ。北部の小さな村の寺で、私は一人の老僧と、膝を突き合わせたことがある。彼が色褪せた布の包みをゆっくりと解くと、掌の上に現れたのは、指の先ほどの、古びた仏牌――プラクルアンだった。幾十年も人の手に握られ、角の丸くなったそれを差し出しながら、老僧は静かに言った。「これは、人を守るために生まれたのだ」と。むろん、真偽を科学で確かめる術など、その場の私にはない。だが、握らせてもらったその一片は、不思議と温かく、ずしりと重かった。石の重さではない。そこに込められた、幾十年もの歳月の重さだったのだと、今でも思う。

日本には、神社のお守りがあり、御札がある。だが、世界を巡れば巡るほど、私は同じ光景に出くわしてきた。ネイティブ・アメリカンには邪を退けるとされる咒符があり、チベットには金剛杵という法具が、修行と加護の証として受け継がれてきた。古代エジプトでは、死者を守るためにスカラベの護符が墓へ収められた。ヨーロッパの魔除け、東南アジアの神具、韓国の霊符――形も、素材も、唱える言葉も、何もかも違う。それなのに、そこに託された人の願いだけは、恐ろしいほどに、似通っているのだ。
なぜ、海も言葉も隔てた民が、示し合わせもせず、まったく同じ発想にたどり着いたのか。二十年、この問いを抱えて歩いてきて、私はこう思うようになった。「目に見えぬ願いを、目に見える一つの物へ託したい」――その衝動は、人という生き物に、生まれつき刻まれているのだと。不安も、祈りも、そのままでは大きすぎて、手に余る。だからこそ人は、掌に載るほどの何かにそれを預け、そうしてようやく、夜、眠ることができたのだろう。護符とは、人が正気を保つための、ささやかな発明だったのかもしれない。

もっとも、この道は、美しい話ばかりではない。祈りの集まる場所には、必ず、それにたかる贋物が潜んでいる。白状すれば、私も若い頃は、幾度となく欺かれかけた。もっともらしい由緒書きを添えられ、わざと埃をまぶして「古さ」を装った品を、本物として掴まされそうになったことは、一度や二度ではない。何度も痛い目を見て、ようやく私は、一つのことを知った。本物と贋物を分けるのは、素材の古さでも、語られる伝説の壮大さでもない。それを受け継いできた人の、目だ。物を売りつけようとする者の目は、必ずどこかで泳ぐ。だが、心の底から信じ、命がけで守り継いできた者の目は、けっして揺らがない。私が最後に信じてきたのは、いつも、物ではなかった。その物を差し出す人の、眼差しのほうだった。
だから、これだけは断っておきたい。私は、物そのものを崇めているのではない。一つの護り石の背後にある、その土地の歴史。そして、名も知らぬ誰かが、それを握りしめて越えてきたであろう、数え切れない夜。私が本当に惹かれるのは、いつだって、その「物語」のほうなのだ。石は、物語を容れる、器にすぎない。
二十年が過ぎても、この渇きは、いっこうに癒えない。だから私は、今日もまた旅に出る。まだ見ぬ、誰かの祈りの一片を探して。

そうして異国の護符を追い続けた末に、私はこの頃、ふと思うのだ。私が世界の果てまで探しに行ったものの答えは、案外、あなたのすぐ隣にあるのかもしれない、と。祖母がそっと持たせてくれた、お守り。旅先で、理由もなく手放せなかった、一つの小石。――そう、あなたの手のなかにもきっと、あなただけの物語が、静かに宿っている。
了
2026年08月19日
